平成元年5月~平成5年5月 |
日本工具工業会 副理事長 |
4年 0月 |
企業経歴: |
昭和32年(1957年)4月 |
株式会社 神戸製鋼所 入社 |
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平成 元年(1989年)4月 |
同 取締役工具事業部長就任 |
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平成 2年(1990年) |
同 常務取締役工具事業部長 |
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平成 5年(1993年)6月 |
同 常務取締役 退任 |
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平成 5年(1993年)6月 |
神鋼テクノ株式会社 社長 |
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平成11年(1999年)6月 |
同 社長退任 |
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平成16年(2004年) |
株式会社 神戸製鋼所 シニア―ボランチア採用 |
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功績の内容
氏は、平成元年5月、日本工具工業会副理事長に就任。2期4年の任期の間、日本工具工業会の発展並びに会員の融和等に尽力いただいた。工業会の運営にあたっては、理事長職を27年の長きにわたり運営してこられた大和田理事長をサポートされた。当時の工業会は生産額・出荷額において最盛期を経験、しかし、その後、バブル崩壊となるなど工業会の運営にも大変苦労の多い時期であった。
また、神戸製鋼所工具事業のトップとして、平成3年に画期的な商品であるミラクルエンドミルの商品化に尽力された。ミラクルエンドミルが起点となり、それから生まれた各社の派生商品は現在でも我々工具業界にとって重要な商品の座を占めており、氏の功績は大きく評価される。
企業を退職されてからは、JICA等から発展途上国の技術指導の為、海外にも出かけられ、氏の永年に亘る技術力・経験を基に、発展途上国の産業発展の支援にも貢献された。
平成19年6月~平成27年6月 |
超硬工具協会 監事 |
8年 0月 |
平成27年6月~平成29年6月 |
日本機械工具工業会 監事 |
2年 0月 |
企業経歴: |
昭和52(1977)年7月 |
光精工株式会社(現、エフ・ピー・ツール株式会社)入社 |
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昭和53年 |
専務取締役 |
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昭和56年12月 |
代表取締役社長就任 |
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令和元年12月 |
相談役 |
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(平成14年11月現社名、エフ・ピー・ツール株式会社に社名変更) |
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功績の概要
氏は、平成19年6月、旧,超硬工具協会監事に就任、また統合した平成27年には引き続き日本機械工具工業会の監事を歴任され、通算10年両工業会の監事を務められた。特に、平成20年秋のリーマンショック後は監事の立場から理事会において緊縮財政の必要性をいち早く意見具申された。その結果、平成21年6月就任された倉阪克秀理事長による会費並びに事業内容の10%削減が打ち出された。厳しい環境下、協会運営の大幅な見直しなどが断行された。その一方、会員の増加や地区会員懇談会、委員会活動の活性化など一連の成果を上げることに繋がった。
また、協会賞、『生悦住賞』、『新庄(陰徳の士)賞』の運用に対する適切な提言を行うなど会計方法の近代化と基礎を築かれる等、協会活動の振興発展に尽力された。